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納棺師の歴史と当社

納棺師の歴史

  1.  創業者 遠山 厚 氏
北海道函館市出身 生家は生花店
牧場に勤務し戦後、米軍相手の飲食店経営を経て、生花店を経営。
葬儀社とのお付き合いを深めていった。
昭和29年、台風による青函連絡船洞爺丸沈没事故(1400名死亡)。 
事故当時、納棺の手伝いをしたことがきっかけとなり、復元師となる。
昭和42年頃よりこの仕事に本腰を入れるが、当時は葬儀社も人夫扱いをしていた為、この仕事に対しての価値観を認識付けることは相当の苦労を要した。
しかし、遠山氏の懸命な努力もあり序々に葬儀社から復元師として認められるようになり次第に需要も増えていく結果となった。
需要の多さから遠山氏個人では困難となり弟子を育成するも、
思うように育たない等の苦労も耐えなかったが、昭和49年、
札幌納棺協会を立ち上げることとなる。

儀典協会の歴史

当社設立の流れ


昭和59年、一番弟子として遠山氏より暖簾分けを受けた熊上義春が札幌復元協会を設立。
                      
納棺師の需要と共に着実に取引先を増やし続ける。
各地の葬儀社より復元師の訓練依頼が多くくるようになり、
札幌復元協会も事業拡大に伴い、秋田・宮城に支店を開設する。

後に関連会社である有限会社 儀典協会に登記を移し現在に至る。



            

遠山氏と当社の関係について

遠山氏と当社設立者の関わり

遠山氏の一番弟子として下についたのが当社会長 熊上義春である。

遠山氏の弟子の多くが業界を様々な理由で去って行く中、
当時一番弟子として修業を重ね氏の右腕となり活躍をした。
現在では数名のみが残る直弟子として貴重な存在である。
 
当時の状況は処置道具を始めとして脱脂綿一つを揃えるにも自身で薬局を周り少しずつ確保。
多忙を極めると食事の時間も取れない程であったという。

その後、遠山氏より正式に暖簾分けされた第1号となり
札幌復元協会(現:儀典協会)を設立することとなる。


納棺師とは

納棺師とは
遠山 厚氏がこの仕事を誕生させてから現在まで30年以上が経過している。
近年では映画の影響も手伝って全国各地に「納棺師」の名称も広まり人数も増えた。
しかし、本来は「復元師」という名称が正しかった。
葬儀業界では「復元師」では葬家様に説明がしずらい等の理由などから、いつしか「納棺師」という名称が共通語となった。
当社は設立以来、本来の意味を重視し「復元納棺師」の資格としております。

本来の納棺師の姿

創業者 遠山氏の残した言葉に「この仕事はしてやるという事ではなく、させていただくという気持ちがなければ失格である。」という一言があります。
あくまでも奉仕の精神から始まった仕事であるという事を、最重要視する意思を感じさせる言葉です。
現代、極めてあらゆる道具や物販を通じての商業主義的な傾向も否めない点があるのも事実です。
本来であれば、日々技術の向上と奉仕の精神を持ち、ご遺体・ご葬家に接するべきところを道具に頼り商業目的を重視する者が存在してしまっている事も事実として受け入れております。

私共は与えられた限られた時間の中で、確実に確かな仕事をもとめられています。
納棺は儀式でありますから、荘厳に粛々と進行されます。
本来の奉仕を重要視し、それぞれの場の応じた技術・知識・モラルを持ち得る事が一人前の「復元納棺師」であると考えます。
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